西陣織とは

西陣織は単なる織物ではありません。

時代を超えて受け継がれた職人の魂、京都の誇り、そして日本独自の美意識の結晶です。

応仁の乱と西陣の起源

時は室町時代、1467年。京都を二分した応仁の乱。この11年に及ぶ戦乱で、都は焼け野原と化しました。

しかし、戦後、奇跡が起こります。

西軍の陣地があった場所、「西陣」に、織物職人たちが戻ってきたのです。戦火で全てを失った職人たちは、再びゼロから織機を作り、糸を紡ぎ始めました。

「もう二度と争いは起こさない。美しいものを作り、人々の心を豊かにしよう」— そんな願いを込めて織られた布は、やがて「西陣織」と呼ばれるようになりました。

戦火の地から生まれた平和の布。これこそが、西陣織の始まりです。

江戸時代、西陣織はその最盛期を迎えます。京都御所、徳川将軍家、全国の大名たち — 権力者たちは、こぞって西陣織を競って求めました。

能装束、打掛、そして帯。特に帯は、江戸の女性たちの憧れの的でした。「西陣の帯を締めること」、それは最高のステータスだったのです。

職人の数は数千人にのぼり、西陣の町は活気に溢れていました。朝から晩まで響く機織りの音は、「とんとん、とんとん」と、まるで京都の鼓動のようでした。

危機に瀕する伝統 — 数字が語る現実
織機の数

1975年:約20,000台

2024年:約1,000台

従事者数

1975年:約30,000人

2024年:約2,000人

職人の平均年齢

1975年:45歳

2024年:68歳

着物離れ

現代の日本人は、日常で着物を着なくなりました。需要が激減し、多くの織元が廃業に追い込まれています。

後継者不足

技術の習得には10年以上かかります。しかし、収入は安定せず、若い人が職人の道を選ばなくなりました。

世界が注目する、西陣織の価値

絶望的な状況の中でも、光明が見えています。海外の富裕層やアート愛好家たちが、西陣織の真の価値に気づき始めているのです。

パリ、ニューヨーク、ドバイ。世界の一流ホテルやギャラリーが、西陣織を「日本が生んだ最高峰のテキスタイルアート」として展示し始めています。

写真では伝わらない、本物の輝き

正絹の質感、金銀糸の輝き、そして職人の魂。それらは、実際に見て、触れて、感じてこそ理解できるものです。
京都・上賀茂の展示室で、550年の歴史が生んだ奇跡を、ぜひご体験ください。